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大蔵海岸はなぜ惨事を招いたか?


【「月刊むすぶ」2003年9月号(No.393号)ロシナンテ社発行】

大蔵海岸はなぜ惨事を招いたか?

破綻した"海辺のまち"の海岸政策

松本 誠(市民まちづくり研究所)

 明石海峡大橋を真正面にのぞむ明石市の大蔵海岸で二つの惨事が起きてから二年目の今春、責任を問われた市長の退陣に伴う市長選挙が行われた。選挙では惨事を招いた開発優先、市民のいのちと安全を軽視した市政の転換が問われたが、六党相乗りの組織選挙で圧勝した後継候補との間で十分な争点とはならなかった。新市長は二つの惨事の犠牲となった遺族と市との関係を改め、大きな政策転換に踏み出したように報道されているが、惨事を招いた背景や真の事故原因究明はまだこれからの課題である。
 ここでは、「海峡公園都市」を標榜する明石市の海岸政策が破綻した経過と背景を振り返り、本来の「海辺のまち」に再生していくための課題を考えてみたい。

一、花火大会事件と砂浜陥没事件の衝撃

 大蔵海岸花火大会事件とは、二〇〇一年七月二十一日の夜、第32回明石市民夏まつりのフィナーレを楽しむ花火大会で、会場の大蔵海岸に面したJR朝霧駅からの歩道橋で"群衆なだれ"が起き、子どもやお年寄り十一名が死亡、二百四十七名が負傷した事故である。花火大会には約十五万人の見物客が詰めかけたが、主要アクセスとされた歩道橋の通行容量がもともと一挙に押し寄せる群衆に対応できなかったうえに、先にいくほど狭くなるボトルネック構造、人の流れを阻害する夜店の配置、群衆整理や通行規制対策が皆無に近かったことなど、「信じ難いほどの無謀さ」と事故調査委員会が結論づけた事故である。

 事故直後から原因究明と再発防止に立ち上がった遺族に呼応して、明石のまちづくりに関心を持ってきた私たちは、「花火事件を考える市民の会」を立ち上げ、九月から毎月のように市民に呼びかけて「語る会」「考える会」を開いてきた。その中で、今回の事故は偶発的に起きたものではなく、開発優先で進めてきた大蔵海岸の埋め立て事業に端を発したもので、明石市行政の体質に深く根ざした「組織事故」の側面が強いことを明らかにしてきた。

 そのような中で、五ヵ月後の同年末、十二月三十日に花火大会事件と目鼻先の同じ大蔵海岸で砂浜陥没事故が起き、父親と散歩に来ていた幼女一人が生き埋めになり、五ヵ月後に亡くなった。

この事故は全国の人口養浜海岸に衝撃を与え、一斉点検が行われたが、大蔵海岸はもともと埋め立てが困難といわれたほどの激しい潮流に洗われ、砂浜の砂の流出が続いていたが、事故の数年前から砂浜の陥没が確認されながら、花火大会事件以降も安全対策が講じられず放置されていた。

 二つの事故は後に述べるように、いずれも開発優先の海岸政策の結果生じたものであり、事故後の行政責任の回避や遺族などへの誠意なき対応とあわせて、明石市の行政姿勢に深く根ざしたものとして、私たちは単なる「事故」ではなく「事件」と呼んできた。

二、大蔵海岸の概要と開発の足どり

 大蔵海岸は東西16舛虜拂垢ぬ誓个療戝次⊃生融圓箸龍界線の明石海峡に面した海岸で、明石・舞子・垂水・須磨とつながる風光明媚な海岸線の一角にある。侵食対策のためコンクリート護岸と消波ブロックで固められていたが、一九八六年に明石海峡大橋の起工式が行われたのに合わせて、明石市が急きょ海岸埋め立てを行い、ホテルやレストランが並ぶレジャーゾーンにしようと青写真を描いた。

 中曽根内閣の民間活力導入を軸にバブル経済が本格化した時期だったが、バブルは長続きせず、91年には崩壊し、地価の下落が始まった。にもかかわらず、明石市は開発計画を見直すどころか本格的に計画を進め、91年秋には埋め立て事業費二百三十億円(後に約二百七十億円に膨らむ)の最終事業化案を発表、92年には独立採算の企業会計を新設し、93年には埋め立て免許を申請し着工してしまった。

 埋め立て区域面積は約32如うち陸上部分は19如∈宿佑醗詆揺分が約13如Bだした土地のうち5任鯡唄屬貿箋僂掘▲曠謄襪筌譽好肇薀鵑覆匹離譽献磧嫉楡澆鰺驚廖土地の売却収入で埋め立て造成費用を全額償還する、典型的な"バブル計画"だった。

 だが、私たち市民が反対した通り、計画は着工後一年余りで行き詰った。
バブル崩壊後の経済状況から、埋立地の売却見通しが全く立たず、売却価格を半値以下に下げたが買い手はつかなかった。売却価格を下げた分の穴埋めは、当初計画では埋立地内の道路や公園、駐車場などの公共用地は明石市に無償で譲渡し、市が上もの施設を整備する予定だったが、売却予定地を除く約14任鮖圓一般会計に約百五十億円を計上し買い取った。計画当初の「市民には負担をかけない」という"公約"は簡単に覆され、事業費の半分以上を税金負担にツケ回ししたわけである。

 95年の阪神・淡路大震災は、震源地の間近にある明石でも大きな被害が出たが、大蔵海岸の開発工事は98年春の明石海峡大橋の開通へ向けて優先的に進められた。だが、民間開発用地の売却は進展がなく、98年春に先行して着工した四階建てのレストラン棟は翌年春の開業を延期したものの、テナントが集まらず99年末には無期延期を決め、完成直前の工事を中断したまま放置されている。

 二〇〇〇年には用地の売却をあきらめ、賃貸方式に事業手法を変更し、ホテルの建物の高さ制限などの建築規制を撤廃し企業誘致に躍起となった。同年、コンペでいったんは大手商社の進出が決まったが、契約が延び延びになった挙句、翌年春には白紙に戻ってしまった。

 大蔵海岸での花火大会の開催が決まったのは、まさにこのような時期だった。埋め立て事業と企業誘致の失敗を重ねて追い込まれた中で、15万人もの人を集めるイベントを打つことによって市民の批判をかわし、同時に企業に対して大蔵海岸の利便性をアピールしようとした背景が浮かび上がってくる。政治生命をかけて大蔵海岸の開発を進めてきた岡田進裕市長を支える側近たちにとって、事故の予兆に注意を払う余裕などなかった。市民の安全性を考えることよりも、花火大会の開催が「先にありき」の中では、雑踏警備計画の可否から会場選定を見直すことすらはばかれる組織体質があったことが容易にうかがわれる。

三、「悪夢のシナリオ」?「ばら色のシナリオ」?

 大蔵海岸の埋め立て計画をめぐって、地元住民らを中心に反対運動を続けていた当時、私たちは「CCZ研究会」や「海峡塾」をつくり、埋め立て計画の分析や市民の勉強会を重ねていた。その中で大蔵海岸計画の行く末を分かりやすく説明したのが<「悪夢のシナリオ」?「ばら色のシナリオ」?>である。発表したのが一九九二年十二月だから、十年以上も前に今日の"大失敗"を見通していたことになる。

 当時、私たちは、「悪夢のシナリオ」を以下のように描いた。

〃弉茲魘行すれば民間売却が難航し、借入金の償還が不能になり、金利負担の増大から売却価格を下げ公共用地を市が買い取って一般会計を圧迫する。市の財政悪化の要因になり、市民サービスの低下や他の公共事業の抑制、悪くすれば赤字再建団体に転落しかねない。

∨篶地の民間売却が成功しても、閑古鳥が鳴き経営危機が進んで救済要請から市が買い取って財政悪化とマンション用地等への再売却に追い込まれる。

この計画は仮に成功して観光事業が繁盛しても、地価騰貴などのバブルが再燃し、市民生活や公共事業に支障がでるほか、観光公害の増加で背後地の大蔵地区一帯の住環境が悪化し、挙句の果ては一帯の地上げや開発が進み、住民は追い出されていく。

いい困譴両豺腓砲睨笋疥てが貴重な藻場を破壊し、魚のまち明石の漁業資源を損なうほか、埋立地の磯浜や砂浜はヘドロ化し、保全対策に再投資を迫られ、そのうちに再埋め立てしてマンション用地等に売却されかねない。

 その後の十年間の歩みは、恐ろしいほど私たちの描いた「悪夢のシナリオ」通りに展開している。砂浜はヘドロ化よりも先に、猛烈な潮流に砂が吸引されて流出、安全管理体制のずさんさも加わって幼い命を奪ってしまった。自然からの報復でもある。花火大会事件は、埋立地への企業誘致に焦った開発優先行政の結果生じたといっても過言ではない。十二名のいのちは、開発優先、人命軽視の行政の犠牲になった。

四、「海辺のまち」再生への政策転換の課題

 私たちは先のシナリオの中で、「もう一つの選択」を示した。それが「ばら色のシナリオ」である。すなわち、大蔵海岸の整備計画を下記のように全面的に見直すことであった。

 ヽご澆蝋颪猟廠躬業による海岸保全改良工事にとどめ、海岸線はベランダ護岸や緩傾斜護岸と砂利浜の整備、植栽を行うにとどめる。大蔵海岸の親水性を確保するとともに自然環境や緑の保全・復元を図る。

 海浜施設用地が必要な場合は、大蔵海岸よりも市街地に近い明石港と隣接する市役所一帯の臨海部再開発によって生み出せる。事業期間の短縮と財政負担の軽減、大蔵海岸の自然環境と景観の保全、中心市街地との一体整備が図れる。

 残念ながら私たちの提起は一顧だにされることなく、市はバブル時代の典型的な開発を推し進めた。

 大蔵海岸で起こった二つの惨事を反省し、原因を究明して再発防止を図るということは、単なる雑踏警備や集客イベントのあり方を再考するだけでは、根本的な改革は図れない。ボトルネック構造の歩道橋に税金をつぎ込んで拡幅したり、砂浜の砂を掘り返して砂の流出対策を図ることに矮小化されてはならない。

 無謀な開発計画を推し進めてきた経過を洗い直し、時代錯誤の開発優先政策に陥った原因を明らかにすることが前提になる。そのうえで、環境、産業、まちづくりの多角的な観点から二十一世紀社会にふさわしい海辺づくりを構想していくことが、不可欠である。

 明石市の現時点での対応は、あまりにも常識離れした事件後の姿勢を、遺族との関係修復を中心に是正を図りつつあるにすぎない。北口寛人新市長のこうした姿勢が、本当の意味での事故原因究明と海岸整備政策の転換につながっていくのかを、慎重に見つめていきたい。

 市長選挙で「市民の市長をつくる会」から擁立されて北口新市長と対決した私は、全国から注目を浴びていた大蔵海岸の二つの事件の背景と市政の課題を選挙戦の最大の焦点にすえた。大蔵海岸開発の足取りは、お隣の神戸空港問題をはじめ全国各地に噴出しているバブル時代の開発をめぐる問題の、分かりやすい象徴でもあるからである。市政だけではなく、私たち市民も、十二名の尊い犠牲者を出した十字架を背負い、教訓をしっかりと生かしていく責任を負っている。

(まつもと まこと)  (2003/8.22執筆)

最終更新時間:2008年01月06日 21時50分53秒