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神戸における「小さな自治」の展開


神戸における「小さな自治」の展開

阪神・淡路大震災10年を越えて

大阪市政調査会「市政研究」2006秋季号(2006年10月)

市民まちづくり研究所所長 松本 誠

一 「地域自治」構築への二つの潮流

 「小さな自治」とも呼ばれる地域自治への取り組みは、全国的な広がりを呈しているが、ここ五、六年の動きを振り返ってみると、明らかに二つの潮流を概観できる。

 地域自治は本来、地方分権を推進していく中で「補完性の原理」をより一層追求していけば、「住民自治」を徹底することにつながっていく。市町村に移譲された権限や財源は、さらにコミュニティ単位など自治体の中で地域内への分権を進め、地域や住民・市民でやれることはどんどん委ねていくことが必要である。市民一人ひとりの役割を高めていくことから「市民分権」ともいわれる。大都市では行政区単位に権限や財源を移譲し、行政区単位の自治権を拡大していくとともに、さらに小学校区単位程度の地域自治の仕組みをつくり、重層的な自治をつくりあげていく動きである。

 「小さな自治」がクローズアップされたのは、一九九九年三月、群馬県の小寺弘之知事が朝日新聞の「論壇」に投稿した「小さな自治」の提案だった。都市部では人口一万人程度の小学校区ごとに自治区を設け、三億円ぐらいの財源を市から移譲する。自治区は住民の自治によって、近隣社会の日常生活で住民が必要だと判断するさまざまな事業を行う仕組みである。「自治区」や「三億円の財源移譲」という言葉が注目されたが、提言の真意は、住民の手が届かなくなってしまっている市町村や府県などの「大きな自治」に対して、歩いて行き来できる程度の範囲で行われる住民主体の「小さな自治」も必要ではないかという問題提起だった。

 群馬県はその後、職員による研究会を設けて二年間にわたる議論を経て「小さな自治のシステム研究」と題した政策研究報告書をまとめた。全国的にも大きな反響を呼び、滋賀県では県と市町村の企画スタッフや県内のシンクタンクが合同で「身近な自治研究会」をつくり、独自の研究を進めた。中央では財団法人日本都市センターが二〇〇〇年から二ヵ年にわたる調査研究を行い、「自治的コミュニティの構築と近隣政府の選択」を発表した。

 政府の地方制度調査会も二〇〇三年秋、地域自治組織についての提言をまとめ、翌年初めには地方自治法が改正されて地域自治組織の具体的な仕組みが法制化された。市町村合併促進のための合併市町村における法人格を持った地域自治組織と、政令指定都市などの行政区に自治的な機能を強化することを認め、一般の市町村で地域内分権を進める地域自治組織の形成を認めることが主要なねらいである。小学校レベルの「小さな自治」とは一致しないが、都市の住民自治のあり方に問題があることが認識された。

 兵庫県では、宝塚市が小学校区単位にコミュニティ自治組織づくりを具体化し、条例などによって二十の小学校区すべてに広げている。宝塚市のような取り組みは、ここ数年全国各地で広がりつつある。

 ところで、こうした流れは、いずれも行政が積極的に提言し具体的な取り組みを促しているケースがほとんどで、いわば「行政主導の住民自治」づくりともいえる。合併市町村における地域自治システムの推進は、市町村合併推進のテコ、あるいは合併に伴う住民自治希薄化への対症療法として使われている面もあり、「上からの住民自治」の押しつけとも取れないことはない。行政が主導することの是非を云々しているわけではなく、地方分権や住民自治に先駆的な取り組みをしている行政の姿勢と実践はそれなりに評価するものであるが、地域の住民が積極的に提起し、具体的な実践をリードしてきたものとは一線を画すといわねばならない。一九七〇年代以降の「行政主導」のコミュニティ行政や住民参加の行政が陥った経験を、想起しない訳にはいかない。

 これに対して、一九九五年の阪神・淡路大震災を経験した神戸の被災地では、やや趣が異なる展開を見せている。行政の先駆的、積極的な取り組みがなかったからといえばそれまでだが、神戸市内でも幾つかの「小さな自治」の実践が試みられている。いずれも、当初は必ずしも「地域自治」を意識して始めたものではなく、必要に迫られて自然発生的に取り組まれてきたものだが、実際は「草の根の住民自治」と呼ぶにふさわしい中身を有している。

 こうした「地域発信型」の住民自治の取り組みは、兵庫県や神戸市の自治体行政の体質の分析と併せて行わないと一面的なそしりを免れないが、まずはそうした幾つかの試行を概観してみよう。

二 被災地・神戸における多様な住民自治の試み

(1)長田・真野地区と北須磨団地の長い歩み

 神戸市における「自治的まちづくり」の元祖的な存在は、長田区の真野地区である。60年代後半からの住工混合地区における公害反対運動から始まって「住民主体のまちづくり」の先駆として全国的に有名だが、その真価は震災の修羅場のなかでの復旧、復興に発揮され、地域住民の結束ぶりが世に知られた。震災後の一時期は、地域組織の混乱や活動の停滞や後退も見られたが、ハード面での投資がほぼ終わった中で、いまは本格的な自治組織の定着が問われている。今年に入って、地区内に暴力団の事務所が開設される動きに対して、地域挙げての阻止運動が高まっており、往時の熱気が再現されている。

 真野地区の強みは「真野まちづくり40年」「地区計画25年」「震災復興10年」の取り組みを担ってきた真野まちづくり推進会の、総合的な地域マネージメントに負うところが大きい。約二千五百世帯の地区には、自治会をはじめ婦人会など各種地域団体があるが、それらをコーディネートする形で「まちづくり推進会」が統合機能を果たしてきた。震災直後には、推進会のスタッフが支える災害対策本部が震災三日目に立ち上げられ、地区内の対応はすべて対策本部と自治会長会議の合同会議で昼夜なく決定される「自治区ユートピア」が出現した。住民の救援、生活支援、復興計画が地区組織の主導のもとに進んでいった、神戸市内でも特異な展開があった。

特養や保育所。作業所などを経営する北須磨団地自治会

 真野まちづくりについては、すでに数多くの報告があるので割愛する。神戸市内でユニークなもう一つの自治組織は、70年代以来連綿と続いている北須磨団地自治会の活動である。兵庫労働金庫の住宅生協事業による団地開発で一九六七年に入居が始まり、翌年夏、造成地の炎天下で自治会の設立総会を開いた。現在は約二千世帯の規模だが、発足当時はバス、食料品の買い物、保育、教育、子どもの遊び場、集会所など暮らしの課題が山積した文字通り“陸の孤島”の解決に、住民は自治会に結集した。

 労金団地だけに、住民には労働組合運動の現役や経験者が多数いただけに、職場での活動家が自治会を担い、次々に自主管理の施設をつくっていった。自治会発足の翌年に労働者生活協同組合立として創設した「北須磨保育センター」は、十年後には幼保一元化の先駆として学校法人と社会福祉法人の双方の認可を受けて、団地住民の自主管理で今日まで運営されている。73年には第二保育センターが神戸市の学童保育所第一号の認可を受けて地域運営方式で長時間保育を開始。その後、団地内に建った児童館に引き継がれていく。自治会館、老人憩いの家の建設、今のコープこうべの生協店舗も主婦たちが始めた生協ストアーを引き継いだものである。

 団地の高齢化問題が目に見えてきた80年代後半になると、自治会が建設した福祉会館を民間地域福祉センターの第一号として自治会立の「友が丘地域福祉センター」として再発足。震災後の90年代後半には社会福祉法人「北須磨保育センター」を事業主体とした特別養護老人ホーム「友が丘YUAI」を開設。90年代初頭には障害者の小規模作業所も自治会の手で開設している。

 こうしたハード面の整備と運営だけでなく、二十七年間の長期にわたって在職した自治会長を頂点とするピラミッド型の自治組織によって、地域の環境、福祉、教育、文化、レクリエーションなどのソフト面の事業も積極的に行ってきた。

 これら二つの事例は、古くからの歴史のある下町とニュータウンの違いはあるが、いずれも自治会を中心とした旧来の地縁組織を軸に、優れたリーダーの指導で強固な地域自治の仕組みをつくり上げ、まちづくりと生活を支える活動や事業を住民自らの手で実践してきたといえる。行政も、そうした住民活動を間接的に支えることを惜しまず、住民側も生活環境が向上する中で行政との良好な関係を築いてきたといえる。

(2)地縁と知縁をむすぶ西須磨の「身近な自治」の仕組みづくり

 神戸市の旧市街地西端にあたる須磨区の西須磨地区で、地域を揺るがす住民運動が盛り上がったのは阪神・淡路大震災が起きる一年ほど前のことだった。古くからある閑静な住宅街に神戸市が区画整理事業を施行し、幹線道路など7本の都市計画道路を建設する計画が明らかになり、そのための住民の受け皿組織として「まちづくり協議会」が市のお膳立てで一方的につくられようとしたからだった。住民たちは、協議会への移行をストップし、移行前の官製「まちづくり懇談会」をボイコットして事実上崩壊させるとともに、震災を挟んで住民主体の「まちづくり懇談会」を立ち上げた。

 震災直後、市は区画整理を取りやめて、全半壊状態になった道路予定地を買収して3本の幹線道路だけを建設する計画に変更し、「復興まちづくり」として進めようとしたのに対し、住民の反発は一層高まった。家屋の倒壊で途方に暮れる地域の状況を逆手にとって、まちの復興は住民まかせにして道路だけを造ろうという考えが透けて見えたからだ。

 幹線道路計画に対する環境アセスメントを行わない市に対して、住民たちは二十四時間徹夜の「自主アセス」を行い、交通量や排ガス、騒音、浮遊粉塵などのデータを集めた。住民の要求から逃げ回る市に対して、住民は県公害審査会へ公害紛争調停を申し立て、98年からすでに八年以上にわたって調停が進められている。三七四七人という申請者数は全国の公害紛争調停では最大規模の調停団である。このような運動の中で、市と住民協働での環境調査が行われデータを共有し、計画の修正を話し合う場が生まれている。暫定整備を提案する市に対して、住民側は車線数を減らして緑豊かな広い歩道を設けたり、沿線の公有空き地を公園緑地化するなど「緑豊かな循環型公園」をめざした設計案を住民から提案して「計画段階から住民が参加する協働のまちづくり」に取り組んでいる。

 多様な地域NPO活動の取り組み

 道路問題に端を発した西須磨では、震災後の地域の状況を踏まえて多様なまちづくり活動に取り組みだした。

 環境面では、地区の東端の天井川の上を走る阪神高速道路が震災で倒壊し、復旧工事の間工事現場になっていた天井川公園が再整備されるのにあわせて、月見山連合自治会と西須磨まちづくり懇談会環境部会が、造園の専門家やビオトープの研究者たちの助言を得て「まちの中に自然を取り戻す」プランをつくり、市に提案した。市はこの提案をもとに住民たちと協議しながら公園を整備し、完成後に住民たちでつくった「天井川公園を育てる会」に清掃や草取り、水やりなどの日常管理を委託し、住民たちが「みんなの公園」として自主管理している。

 公園の完成を祝うオープニングイベントには、地元の月見山連合自治会だけでなく西須磨全域の自治会や婦人会、老人会、各種の青少年団体やボランティアグループ、小中学校や市民団体などが参加し、多彩な顔ぶれの二千人を超す人びとでにぎわった。天井川公園が人びとを集める力を持っていることに気づいた住民たちは、その後毎年秋に「天井川公園まつり」を開き、「自然と人間との共生と人の輪づくり」をめざした。西須磨地域の人口は約二万人だが、毎年のまつりは数千人の人びとでにぎわう。隣のまち長田区には沖縄県出身者や在日朝鮮人、東南アジアや南米の定住者が多く暮らしており、まつりは民族音楽や舞踊で国際色豊かに多文化共生の場にもなっている。

 住民たちの提案で公園に隣接する天井川には階段で行き来できるようになっており、コンクリート三面張りながらも階段を降りたところは深みのある渕をつくり、上流から川砂を運んで水草が繁殖し水生昆虫が生息できる親水区域にしている。「柵のない博物館」と地元で呼び、天井川公園を起点にした環境学習や自然観察会が開かれる。育てる会は地域環境読本「ふるさと須磨―天井川周辺の自然誌」などを次々に出版し、須磨区内の小中高校の図書室に備えたり、環境学習に役立てている。住民が関わってつくった天井川公園を軸に、地域の人の輪と連携が広がっていくさまを住民は直に体験した。

 自治会の福祉部から出発して、住民互助型の高齢者福祉活動に発展した高齢者の生活を支援するNPO法人「西須磨だんらん」は、「困ったときはお互いさま」を合言葉に有償ボランティア活動を広げる。98年に発足した西須磨だんらんは、その後月見山連合自治会が建設した第二自治会館「稲葉プラザ」(稲葉公園安心コミュニティプラザ)に入居して、会館の管理・運営を自治会から受託するとともに、ふれあい喫茶や生きがい対応型デイサービス事業も担っている。

コミュニティ・シンクタンクの役割担う「まち懇」

 西須磨の住民活動は、地域が直面している具体的な課題にさまざまな地域NPOが分担して課題解決を担うと同時に、震災直後に発足した「西須磨まちづくり懇談会」(通称・まち懇)が自治会の枠を越えて西須磨全域のまちづくりコーディネーターとして役割を担ってきたのが特徴である。93年からいち早く月見山連合自治会で自治会改革が進み、自治会の役割を見直すとともに、地域内の多様な住民活動を自治会が支援、連携していくことによって住民の自発的な活動を引き出し、地域力を総合的に高めていく方向をめざした。
 当初の「まち懇」は道路問題などの西須磨地域の窓口として神戸市と対応するなど、西須磨地域をまとめる役割を暫定的に担っていたが、自治会を正式な構成員としていないまち懇が地域を代表する役割を果たせないことを間もなく確認した。97年以降のまち懇は、住民集会やまちづくりワークショップの開催、まちづくりニュースやリーフレット、単行本の発行、タウンミーティングの開催など、地域住民向けの情報発信や啓蒙活動、各地の研究・交流集会への参加、他団体との交流、研究者や専門家から助言を得る役割を担うようになった。いわば、地域の情報交換や連携、政策提起などのコミュニティシンクタンクの役割を担うようになったといえる。

(3)地域総合情報紙の発行で連携めざす西神ニュータウン・竹の台

 神戸市の西神ニュータウンの一画にある竹の台地区は、三千二百世帯、九千三百人の整然としたまち並みの住宅街である。新興住宅地といっても、分譲が始まってから二十一年。地区の小学校はピーク時には一千人の児童数を数えたが、いまは半分に減り急激に高齢化が進む。

 そんなまちで今年三月、「竹の台総合新聞」と題したタブロイド版八頁の地域情報紙が誕生した。地区内の自治会や各種地域コミュニティ団体が集まって昨年発足した「竹の台地域情報局新聞製作委員会」が製作発行するコミュニティペーパーである。二ヶ月ごとに年六回発行、委員会の手で全戸にポスティングしている。地区内のさまざまな情報、各種団体の紹介や活動、防犯、高齢化、子育て、ゴミや環境問題などを編集スタッフの住民の目で伝え「地域のさまざまな課題や問題点を整理された情報として発信し、住民自らが考え判断する座標軸を提供する」とうたう。

 新聞製作委員会の代表の一人である絹川正明さんが、サラリーマン生活に五十歳でピリオドを打ち、地域に戻り自治会長になったのは三年前だった。関西電力で特命のボランティア課長、地域共生本部の副部長など企業の社会貢献活動のリーダーを八年間務めた後、企業社会での活動の限界を悟ってNPOの世界で生きていこうと決意した結果だった。ところが、地域に戻ったとたん自治会長を引き受けるよう頼まれた。「NPOの感覚で地域に入ると、そこはまるで中世の封建社会」という驚きに一瞬たじろいだが、ベースになる地域が変わらないと何も始まらないと、地域団体の連携をつくることに力を注いだ。

 地域コミュニティ団体の連携へ「円卓会議」とNPO立ち上げへ

 竹の台地区には神戸市内の他の地区と同様、自治会のほかに十四もの各種地域団体がある。ふれあいのまちづくり協議会(ふれまち協)、防災・防犯福祉コミュニティ、青少年育成協議会、民生委員・児童委員協議会、学校施設開放運営委員会、老人クラブ、婦人会、子ども会、自治連、少年補導員連絡協議会、警察地域ふれあいの会、公園管理会、ふれあいまつり実行委員会、美しいまちづくり連絡会議等々である。いずれも行政の縦割り組織に直結し、それぞれが行政の指導や助成金でつながっているから、同じような活動を行っている団体が並存する。このほか、地域内には行政と直接つながらない三つのNPOと六つのボランティア団体が活動しているが、相互の関係が希薄で連携が乏しい。

 「連携にはまず、情報の総合化と共有が先決」と読んだ絹川さんは、連携できそうなところから順次働きかけ、総合情報紙の発行にこぎつけた。活動の拠点になる「寄り合い場所」は、小学校の空き教室2室を改造して完成させた「竹の台クラブハウス」(住民交流施設)。全県内の小学校区単位に千三百万円の助成金が配られた「スポーツ21クラブ」の助成金を利用して、八百万円で整備したクラブハウスにはコピー機や印刷機、パソコンなどの機材も備え、十年間の運営費も五百万円確保した。今年春から公募の高齢男性を中心に三十人程度で始めた児童の登下校を見守る「地域見守りグループ」は、毎日クラブハウスに集合し、見守りを目的にしたグループが親しくなり、高齢者の“居場所”づくりにもなっている。

 絹川さんがこの三年余に書いた竹の台の活動助成金の申請書は、十件を超える。竹の台の住民自治を育てる戦略をこう描いている。自治会と縦割りの地域コミュニティ団体や地域NPOで「円卓会議」を形成し、地区の意思決定の場にしていく。そのためには、団体間の調整や事務局機能を担う地域NPOが必要になる。近々に新しいNPO法人を立ち上げるほか、元気な高齢者、企業OB、専業主婦をはじめ老人会や婦人会など地域組織にふさわしいコミュニティビジネス(CB)を開拓し、地域を元気にしていく―と、独自の地域自治組織の計画を描いている。情報発信をはじめ、地域の中で具体的に動けば随分たくさんの新しい人材が自発的に登場し、潜在的な地域力を感じさせている。

3.コミュニティベースの住民自治定着への課題

 神戸市内では他にも震災後、幾つかの地区でそれぞれの事情に応じた新しいタイプの住民自治への模索が続いている。紙幅も尽きたので、それらの地区で共通する問題点と課題を列挙し、草の根の住民自治が定着していくための要件を俯瞰しておきたい。

(1)旧来型の自治会改革による地縁組織の再編

 コミュニティベースの住民自治を進めていくには、地縁組織の代表格として扱われている自治会組織の改革がなければ、高いハードルに直面する。自治会組織の大半は面倒な地域課題に取り組むことを避け、せいぜいゴミ出しステーションの管理や地区の一斉清掃、親睦行事を細々とこなしながら、行政の下請け機関として甘んじているところが大半である。住民自治とは、地域の直面する課題に取り組み、問題解決を図る主体となることでもあるから、自治会がそのような地域活動の方向へ足並みをそろえるか、少なくともブレーキをかけない姿勢を持たなければ成り立たない。

 真野や北須磨では、長い活動の中でそのような体質や仕組みが定着している。「陋習の打破」を掲げた月見山連合自治会長の登場を契機に93年から一挙に自治会改革が進んだ西須磨では、同自治会の存在が西須磨の住民主体のまちづくりに大きく貢献したが、十年を経て自治会内部でリアクションが起きるなど、改革の定着にはまだまだ時間がかかる状況が生まれている。竹の台のようなニュータウンでは、むしろ自治会長のなり手がいないケースが多く、NPOなど市民活動の経験者や市民活動を通じて地域に目を向ける人びとによって自治会が担われるケースも少なくない。こうした地域では、自治会そのものに内在している体質よりも、次に述べる行政縦割り型の地域団体との関係により課題が大きい。

 竹の台で試みようとしているように、地域のあらゆる地縁と知縁団体が連携する「円卓会議」(ラウンドテーブル)方式によって旧体質や消極的な団体も包摂し、実行力のある団体やメンバー、あるいは地域NPOが実務をリードしていく方法が考えられる。

(2)縦割り型地域コミュニティ組織の整理と総合化

 竹の台のところでみた各種の地域団体の存在は、いずれの地域でもほぼ共通している。縦割りの行政がそれぞれに地域に組織づくりを促し、助成金や施設づくり等によって縦割り行政ごとに地域支配しようとする体質が改まらないからである。震災後、神戸市がその組織づくりと施設造りに力をいれた「ふれまち協」や「防災・防犯福祉コミュニティ」「まちづくり協議会」は、福祉、防災、都市計画の各部局のメニューを全市に広げようとしたものである。真野地区のように、真野まちづくり推進会という地区の総合組織にすべての既存団体が結集し、総合的なまちづくりを進めてきた地区にとっては、迷惑千万であった。西須磨では未だにいずれの団体も組織されていない。その代わり、そうした団体を通じて降りてくる行政からの助成金が、地域に届かないことになる。

 コミュニティレベルの住民自治とは、その地域の課題を総合的に検討し、優先順位を自らつけて地域挙げて解決していくことだから、中央省庁が縦割りで自治体の各部局を支配している状況と同じような支配構造を地域に押しつけることは、断じて避けねばならない。逆に、防犯など幾つかのルートで同じような組織をつくっているのは、ただちに統合するなどの改善が必要である。地域住民組織は、地域の実情に応じて、地域自らが決めていくことが、「補完性の原理」にもとづく住民自治のすすめ方であろう。

 とくに西須磨や竹の台でも共通して悩んでいるのが、高齢者の見守りなどの活動でバッティングする地域の自主的な活動と、行政の制度として動いている社協や民生児童委員との関係である。こうした問題の解決には、行政側の理解と制度的な解決が不可欠といえる。

(3)地域住民組織とNPOとの協働

 自治会などの「地縁組織」とNPOなどの「知縁組織」の連携・協働による地域住民組織の強化は、震災後まもなく語られはじめ、最近では行政側も積極的に推進している。地縁組織は従来、地域に根づかないNPOなどの市民活動団体には警戒心を向け、ときにはうさんくさい存在として排除しがちだった。NPOの側も地縁組織の閉鎖性と前近代性をうっとうしく思い、両者は交じり合うことが少なかった。

 震災後、市民活動の急激な広がりとNPO法の制定などの動きの中で、行政も市民活動、NPOの意義と課題に目を向け、それまでは地縁団体しか対象にしてこなかった市民活動の支援対象をひろげ、NPOなどへの支援を重視しだした。そうなると、地域コミュニティで両者が連携し、協働して地域活動に取り組むことが不可欠だから、二つの「ちえん組織の連携」を求めざるを得なくなる。

 二つの「ちえん組織」の連携と協働の発展について、西須磨まちづくり懇談会の佐藤三郎さん(事務局長)は今年2月に出版した「身近な自治の仕組みづくりへ―西須磨からの報告」の中で次のように位置づけている。

 「地縁と知縁の協働は、ケースごとの一時的なものにとどめるのではなく、知縁組織の活動が縦糸、地縁組織の活動がそれを結びつける横糸になり、コミュニティの自治活動を支えるシステムとしての「錦織り」(地域織り)をつくり出し、自治会の持つ「地域代表性」とNPOやボランティア団体が持つ目的性を継続的に結びつけることが、身近な自治の仕組みづくりに向けてのキーワードになる」

 佐藤さんは、自治会が小さな自治の仕組みの中心を担えるように徹底した改革と活性化を図ることを提唱する。竹の台の絹川さんは、自治会や地域団体の役員の不足や組織の混在による重複などを解消するために、地域住民組織をまるごとNPO法人化し、従来の地域コミュニティ組織を部会に再編する構想を描いている。長年にわたって住民主体のまちづくりに取り組んできた岐阜県山岡町(現在は合併して恵那市)が、合併を前に旧町の住民全員を会員としたNPO法人を設立し、旧町の自治活動と施設の多くをNPO法人に委ねて住民自治を継続していこうとしたのを彷彿させる発想である。

 それぞれの地域の事情や条件によって、さまざまな自治の仕組みが考えられる。その選択も含めて、地域住民自身の決定に委ねるのが「補完性の原理」にもとづく自治の姿であろう。

(4)決め手は「情報の共有」

 竹の台でまず、新聞とホームページを立ち上げたのは「住民自治の基礎になるのは地域情報の共有」との重要性を認識したからである。新聞製作委員会のもう一人の代表である森川賢子さん(エコタウンクラブ)は「私たちの生活は国内や外国の情報には詳しくても、地域の情勢については全くの情報遮断状態に置かれている。この逆転現象を是正し、井戸端会議や立ち話の持つ現代的意義を蘇らせて、地域に住まう人びとのコミュニケーションの活性化を図る」と、動機を述べている(「住民自治と合意形成」神戸市建築協定地区連絡協議会編=2006年3月)。

 西須磨のまちづくりNPO団体がこの十年間に発行した住民向けの情報紙のボリュームはすごい。西須磨まちづくり(西須磨まち懇発行、タブロイド版)八千部、三十六回。天井川公園ニュース、四千五百部、二十四回。だんらんニュース、四千二百部、九十回。都市計画道路公害紛争調停団ニュース、八千部、二十一回。稲葉プラザニュース、四千五百部、二十二回。このほかに月見山連合自治会は毎月「自治会報」を発行し、自治会内部の情報だけでなく、関係する西須磨の動きについての解説を込めた情報を詳細に流してきた。

 情報の共有が具体のまちづくりでも、住民自治へのプロセスでも最も重要なポイントであることは明らかであるが、地域での理解と発行を支える人的な体制がなければ続かない。西須磨ではここ1年あまり、地域内部のがたつきから幾つかの情報紙の発行が途絶えがちになっている。

(5)住民自治活動と行政の関係

 行政が主導的に立ち上げた住民組織やコミュニティ自治の仕組みでは、住民と行政の関係は蜜月状態が続き、両者の関係はうまくいっているように見える。住民と行政とが対立する課題を抱えてスタートした場合は、両者の関係がうまくいっていないように見える。

 西須磨では道路問題では厳しい対立構図を描きながらも、十年間の経緯を振り返ると「右手で喧嘩しながら、左手では握手して協力する」関係を、住民たちは当たり前のようにやってきた。地域の課題は多様であり、ゴミ処理や資源回収、公園の維持管理、自治会館の建設や福祉、防災・防犯活動など両者は協力しあわなければ一歩も進まないことが山ほどある。まちづくりとは本来、ある面では利害や意見が対立しても、他の面では緊密な協力をしながら日常差し迫った問題解決にあたらなければならない。割り切りと妥協、大人の知恵を十二分に発揮して、部分的な対立を乗り越えていかなければ始まらない。

 「参画と協働」は、住民と行政の関係でも、住民同士の関係でも、言うべきことは言いながら互いの役割を果たしていくように厳しい緊張関係を持続していくことが重要である。「住民が地域で目覚めると、行政に対してもしっかりした物言いをするようになる」と絹川さんは、メンバーの顔ぶれを浮かべながら語る。本物の住民自治がコミュニティ単位で実践されるようになると、自治体は否応なくしっかりしていく所以である。

最終更新時間:2008年01月06日 21時48分39秒