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求められる発想の転換


「新聞研究」(日本新聞協会発行 2004年10月号)
【特集】変わるコミュニティーと報道の視点 

求められる発想の転換

新聞は市民主導の社会に対応できるか

市民まちづくり研究所 所長 松本 誠
(元・神戸新聞編集局調査研究資料室長)

 歴史的な転換期に入った90年代以降、地域社会もまた大きな変容を遂げている。その最中に阪神・淡路大震災に遭遇した兵庫県では、被災地を中心にコミュニティーは劇的な変化に見舞われている。世の中の変化や動きをつくり出している主役が、行政から市民と地域コミュニティーに移行しつつあるからである。「住民主体」「市民主体」のまちづくりや新しい社会システムへの変化に、新聞の取材態勢や紙面づくりが対応できているかどうかが、21世紀のメディア事情を占う大きなカギでもある。

市民の手に情報を

 私が地方紙の記者として、生まれて育ったまちで総局勤務の記者活動を始めたのは20年ほど前のことだ。当時人口26万の明石市に、神戸新聞は戦後ずっとデスク以下5人程度の記者を配置し、一市で連日地方版一個面をつくる手厚い報道体制を敷いていた。人口とエリア当たりの記者と紙面配分では、おそらく全国でもトップクラスの濃密さである。私が入社する前から、CP方式(コミュニティーペーパー)の実験地域として、力を入れていたからでもある。

 若いころに6年余り阪神総局で仕事をしたが、地方勤務経験は久しぶりだった。70年代の阪神間は、全国的な都市型公害反対住民運動の先頭を切るなど市民意識の高い地域で、全国紙も含め洗練された報道が競われていた。そんな経験もあった私は、明石へ赴任すると同時に、前任者から思わぬ"引き継ぎ"の言葉を受けた。

 「明石は阪神と違って、あまり難しい記事は歓迎されない。地域の細々した話題や催しを書くと喜ばれますからね」だった。地元に住んでいる私は、毎日そうした紙面を見て知ってはいたが、即座に"引き継ぎ"を断って、自分なりの仕事を一から始めることを決めた。たしかに住民の日常の身辺雑事も重要な要素だが、地方版といえどもそうした記事はあくまでも「従」でなければならないと思っていたからだ。

 幸い、私を待ち望んでくれた記者もいた。彼らと一緒に、地域と行政の抱える問題点を片っ端から取り上げ、市民の前に提供していく方針を立てた。まちづくり、地域商業の衰退、教育、環境、福祉、自治会やコミュニティー政策、財政や産業、都市整備など、市民が気になっていたまちの隅々の問題を拾い上げて、現状と課題を説き起こしていく。連載企画だけでなく、日常のニュースとしてもどんどん取り上げ、行政や議会の動きも詳しく報道していった。

 何しろ、市内で50%を超えるシェアを持つだけに、影響力は大きい。地域の問題を掘り起こすことは、結果的に厳しい行政批判の記事になることも多い。市役所幹部の一部からは、にらまれることも少なくない。社内でも議論になることもあったが、市民からは「まちの状況と問題がよくわかる」と支持の声があるから、方針は在勤中変わらなかった。他方でまちづくりに取り組む市民の動きや、来るべき住民主体のまちづくりの時代のリーダーとなる人材を積極的に発掘し、紙面に取り上げることによって、市民レベルの主体的な動きが鈍かったまちに、新しい担い手の群像が見えてくるようになった。

 住民・市民は情報を手にすれば、何らかの形で動き出す。初期の段階では、行政でもマスコミでも、あるいは最近ではまちづくり支援のNPOなど外部の"応援団"でもいい。何らかのきっかけづくりとサポートがあれば、住民・市民の意識と行動は思わぬ高まりを見せる。

 70年代の公害反対運動の高揚期には、全国的にも当時「医者、記者、学者(小中高校の教師)」といわれた"地域の識者"ともいうべき人たちが、全くの素人から立ち上がった住民運動を側面から支えた。当時の記者たちは、全国から新聞労連の新聞研究集会に集まり、公害反対運動のうねりの中で新聞の信頼を取り戻すための情報交換と勉強会を繰り返し、市民と新聞が連帯する一大高揚期を形成したものだった。

 そうした体験もあっただけに、バブル経済が頂点から崩壊へ向かう過程で見えてきた小さなまちでの市民の変化に意を強くした。

 新聞記者が取材力とフットワークを生かして、地域の現状と新しい動きを詳細に伝え、市民が地域の課題をつかむための情報と問題点を紙面を通じて日常的に報道していくことが求められている。しかし現実には、中央政府や大企業の動きなど天下国家の情報や動向は紙面には過剰なほどあふれているが、身近な自治体行政や地域の政治、経済、社会の動きは、大きなニュースにならないと新聞で知ることが難しい。統一地方選挙など、4年に1回の地方選挙のときだけ、地域の課題に紙面を割くが、日常的には議会で何をしているのかどうかも、市民の目に触れるような報道が少ないのが実態である。

震災体験が住民自治の流れ加速

 そんな状況をかかえたまま、90年代半ばには地方分権への移行期を迎えた。自治体をはじめ地方からの盛り上がりのないまま、2000年にはとりあえずの分権システムへ移行した。中央集権体制から地方分権へ転換していく意味を、この時期には自治体側もマスコミ側も十分つかんでいなかった。自治体の多くは、首長も職員も「分権は地方に仕事を押しつける国の財政改革にすぎない」という認識が多かった。

 96年夏に分権推進委員会が初めてまとめた中間報告で「究極の分権は住民自治」と指摘しているのを知って、私は目からウロコの思いだった。地方分権とは「地域のことは地域でやる。自分でできることは自分でやれるように、国や自治体の権限や財源を住民に身近な自治体に移す。自治体は、住民に依拠した本来の住民自治を徹底する」ことだと理解したとき、地方分権の「補完性の原理」という言葉がすっと入ってきた。70年代の住民運動の高まり以降、住民主体のまちづくりの時代が90年代になって手が届くところまできたことと、同じ意味合いを持っていることだとわかったからである。

 阪神・淡路大震災が発生した95年、分権改革など眼中にないまま、被災地では市民と行政との関係に大きな変化が生じていた。震災では戦後の政治、経済、社会の矛盾が一挙に噴き出し、さまざまな仕組みが大きく問い直された。

 震災直後、大都市が壊滅状態になった未曾有の災害の中で、警察や消防はじめ行政組織は平時の機能を失い、非常時への対応能力を欠いていた。推定4万人といわれる倒壊家屋の中に生き埋めになった人たちの大半は、自力脱出した以外は家族や近隣の人たちに救出された。消防も、市内一円で大量に同時発生した火災への対応が不可能だった。学校を中心とした避難所で、急ごしらえの避難者の自治組織が活躍したところでは、病弱者や障害者へのケアがおこなわれ、長期間にわたった避難所生活の秩序維持がうまくいったところが多い。

 戦後の高度経済成長の中で、何かにつけて行政サービスに依存する体質が極限に達していた中で、非常時には行政に依存したり、行政サービスに期待できないことを住民が知ったことの意味は大きい。

 震災直後、いち早く復興区画整理や再開発事業の計画を策定し、一気に計画決定しようとした行政に対して、住民意思の反映を求め自発的に「まちづくり協議会」を組織して、行政案に反対して立ち上がった地域も多かった。

 震災前の神戸市は、70年代以降どちらかといえば「住民参加の行政」を標榜した市政と議会の"オール与党"体制の中で、住民の主体的な取り組みは限られていた。経済成長下で順調に「都市経営」が進んでいた時代は、豊富な財源を市民への福祉サービスにつぎ込んでいたから、市民はそれに身を委ねていればよかった。そうした体制の中で進む"行政の独走"と"危険な兆候"に異議申し立てる一部の市民運動はあったが、少数派として切り捨てられてきた。

 震災はそうした状況を一気に揺さぶり、市民の眠りを覚まさせた。住民・市民自身が動かねば、いのちを守り、暮らしの基盤をつくれないという危機感を感じ取ったからだ。旧態依然の政策には異議を唱え、それぞれが直面している課題について市民の声を市政に反映するように迫ることが、日常の風景としてよみがえった。

地域社会の担い手が起こす地殻変動

 住民が行政に施策や地域の環境改善を求めることは70年代から活発化していたが、震災後の動きにはある種の変化が見られる。全体的には、まだまだ旧来型の陳情・要求型も少なくないが、新しい動きは「自分たちのまち(地域)は自分たちで考えるから、行政はそれを後押しして欲しい」という、自律型、提案型、自治拡張型のタイプである。いわば、住民の意思を反映した地域自治への動きでもある。全国的にみれば、ごく一部を除いて立ち遅れていた神戸市でも「住民主体のまちづくり」へ一気に火がついたといえよう。

 震災後の地域コミュニティーに見られる主な変化は、4点ほど挙げられる。

 一つは、急激な変化を強いられている自治体の行財政と議会のありように関心が高まっていることである。大震災のインパクトだけでなく、国と地方の深刻な財政破綻や市町村合併に端を発した地域の混乱、公的介護保険の運用に伴う問題の深刻化、地方議会への無党派市民派議員の進出と旧弊にとらわれない議員活動、改革派知事や市民派首長の誕生などを契機に、地域社会の地殻変動が広がっているからである。

 二つ目は、震災の年に「ボランティア元年」といわれたあと、NPO法の制定運動などの中で、市民活動が単なるボランティア活動から社会の変革へ、新しい市民社会を担う大きな主体へ広がりつつあることである。神戸市内では、須磨区の西須磨や鷹取、長田区の真野、御蔵、兵庫区の新開地や灘、東灘区などでNPOが地縁組織と連携し、地域環境の整備や高齢者福祉の支えあいネットワーク、商店街の活性化などのまちづくり活動に取り組み、実績を挙げている。伝統的な「地」縁組織とNPOなどの新しい「知」縁組織が連携して、地域社会を動かす原動力になりつつある。市民活動団体はまた、多様・多層な中間支援市民団体によって支援され、重層的なネットワークも形成している。

 三つ目は、介護サービス事業もほか高齢者のニーズや障害者のケア、地域での子育て活動、環境保全などに、市民事業やコミュニティービジネスが急速に広がっていることである。今後、地域社会のさまざまな公益サービスの担い手として、行政や企業が参入しにくい分野が多様な市民活動団体によって担われていくことは間違いない。

 四つ目は、こうした延長線上に自治会などの地縁組織の改革や、地方議会を含む自治体そのものの変革が展望されている。90年代に入ってから労働組合や業界団体、各種の利害団体、中央政党などの既存団体の力と影響力が後退し、新しい市民社会の担い手に影響力が移行していく流れが見えている。選挙で、政党や既存団体に寄りかかった取材では、選挙結果の行方を読めなくなっているのは、こうした背景もある。

「政治動かす市民」が取材源

 政府も自治体も政党も、こうした担い手の変化に対応した世論を読みにくくなっている。その原因の一つが、メディア、とくに新聞の取材シフトの問題である。日常の紙面には、こうした変化や市民の動きは取り上げられてはいるが、紙面全体からすると圧倒的に少ない。とりわけ地域報道の紙面では、行政を窓口にした記事が圧倒的に多く、取材シフトが時代に対応できていないことがうかがわれる。

 官公庁や大企業に比べ、住民・市民の側は広報体制や取材の便宜を図る体制に慣れていないだけでなく、横のつながりはまだ貧弱である。問題は会合や活動、催しの紹介だけでなく、そうした市民レベルの動きが地域社会に静かな地殻変動を起こしつつあることを、メディアが日常的にウオッチできていないことである。

 私はこの春から、兵庫県の武庫川流域委員会の委員長を務めている。20数年間に及び県と流域住民が対立してきたダム計画を白紙の状態から見直し、新しい河川整備の基本方針と整備計画を策定する第三者委員会である。在職中の三年前に、県の依頼もあってこの問題で初めてのシンポジウムを企画し、新聞社の主催事業として開催した。1年がかりで進めた企画だったが、幸い社の編集幹部と現場の記者の理解と協力を得て、開催へ向けて課題を洗い出し、紙面で繰り返しキャンペーン記事を掲載できた。

 しかし率直にいうと、当初は社内でも躊躇する空気があった。ダム建設をめぐる住民と行政の対立構図の中で板ばさみにならないかという懸念だった。私はその心配はないことと、地域で厳しく対立している課題こそ、新聞社が積極的に取り上げて、対立の背景と要因、解決への糸口を引き出す役割を果たすべきだと説いた。

 問題が複雑であるほど、住民はその背景や問題の所在、解決への糸口を知りたい。その役割を新聞に求めている。新聞は板ばさみから逃げるのではなく、進んで火中の栗を拾い、合意形成へのコーディネーターの役割を果たしてこそ、地域社会から信頼を得られる。そうした「シビックジャーナリズム」の役割が、市民と行政を含めた地域社会から求められている。

 そうした役割を果たすには、日ごろから地域社会の水面下でうごめいている住民・市民の活動をきめ細かく追いかけ、紙面化し、住民・市民の信頼を得ていることが条件になる。かつて「足で書く」とは、担当する警察や行政機関をこまめに回り、玄関ダネでないニュースを拾ってくることだった。町ダネ記者とは、まちの"話題もの"探しがその役割とされた。だが今、まちを回り住民・市民に接していくことは、単なる話題ものにとどまらず、政治や経済、社会の構造に直接関わる動きをつかむ役割も大きくなっている。被災者の生活再建援助法やNPO法の成立に見られるように、市民=議員立法という形で市民が直接政治を動かしていくことも少なくない。その萌芽を、日常の地域報道の中からえぐりだしていくことが求められている。

新聞はどこに立脚するのか?

 最近よく「NPO新聞」を出さないかと、NPO関係者から誘われる。昨年3月には、京都で日本最初のNPO放送局が誕生している。神戸では震災直後から、市民団体の多言語FM放送が大きな役割を果たしている。NPO新聞を求める背景は、市民の声や市民活動を伝えるうえで、いまの新聞への不満が大きいからである。

 しかし、よく考えれば、新聞はもともと「非営利」の公共公益性を有し、国民の知る権利を保障する活動をおこなうことによって報道機関足りえている。株式会社の形態をとっていても、新聞は本来「NPO」的であり、市民の視点と立場を有しているものと思っている。その新聞が全国紙、地方紙を問わず、市民の立場で活動していないと見られているとしたら、新聞そのものの危機にもつながる。

 地方分権、住民自治の時代に入って、地域づくりの主役として動き出した住民・市民の底流を掘り起こし、日常的にフォローしていく記者と取材組織の変革が求められている所以である。

(まつもと・まこと)

最終更新時間:2008年01月06日 21時50分04秒