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まこと日誌/2007-7-8


宇沢弘文氏との再会

 昨日7日の「七夕」は、京都の同志社大学で開かれた8月11日に徳島で開催する「川を流域住民(あなた)が取りもどすための全国シンポジウム」実行委員会に出席した。3月に次いで2回目の実行委員会で、40名余の蒼々たるメンバーが全国各地から参加した。
 すでに376人の呼びかけ人が登録し、徳島県外からの参加申し込みは250人を超え、徳島県内の参加者目標800人と合わせて1000人を超す大規模なシンポジウムの準備が着々と進んでいる。

 シンポジウムは1997年の河川法大改正以降、環境重視と住民参加の流れが河川管理にも導入され、淀川や武庫川で流域委員会方式が推進されてきたが、昨年あたりから国交省が淀川や吉野川、利根川などでの流域委員会方式を拒否し、川辺川をはじめ全国各地で川づくりを“逆流”させようとする動きが顕著になったことから、全国シンポジウムが計画された。

 このシンポの実行委員会委員長には、世界的な経済学者である宇沢弘文氏が就任している。70年代の初めに「自動車の社会的費用」(岩波新書)を著し、早くから炭素税を提唱していた環境派の経済学者で、前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の回勅「レールム・ノヴァルム」(1991年5月15日、主なテーマは「社会主義の弊害と資本主義の幻想」)について、法王に招かれ進講したことでも有名な学者である。また、成田空港の建設をめぐって当時の運輸省と空港反対同盟の対立が膠着状態になっていたときに、すでに亡くなった経済学者・隅谷三喜男氏とともに和解のためのラウンドテーブルをつくり、歴史的な和解を導き出したことでも有名である。

 宇沢氏が、この時期に「川づくり」の運動に参画し、その代表格を引き受けたのは、氏の提唱している新しい歴史観であり、21世紀の政治、経済的な仕組みでもある「社会的共通資本」の理論にとって、川が大きな役割を果たすからである。宇沢氏は社会的共通資本について、次のように書いている。

 社会的共通資本というのは、リベラリズムの理念にかなうような経済社会を実現するために重要な役割を果たす資本とか資源、サービス、モノを、社会にとって共通の財産として大事に管理・維持していこうという考え方です。具体的には、まず第一に、自然環境、大気や森林、土壌や水などの自然環境です。第二に、社会的インフラストラクチャー。これを社会資本と呼ぶ人もいますが、そうするとどうしても土木工学的な面が強調されてしまうように感じますので、少し長いですが、私は社会的インフラストラクチャーという言葉を使うことにしています。これは道路、鉄橋、公共的な交通機関、電気・ガスその他の普通のインフラです。重要なのは、それらがどういうルールで運営され、どういうふうにして供給されているかも含めて考えることです。第三は制度資本です。教育とか医療、金融、資本といった社会的制度を社会的共通資本として位置付け考えていこうということです。(『経済セミナー』2003年8月号(日本評論社)pp.38-44)

 宇沢氏はまた、伝統的な「コモンズ」の概念も、社会的共通資本に関連づけて説いている。コモンズというのは、自然環境をうまく、安定的に、そして持続的に管理していくための組織の総称であり、よく例に出される日本のコモンズは、濯漑用の溜池の管理とか、森林の入会制度、漁業協同組合の漁場の入会制度などが、それにあたる。官僚に管理を委ねるのではなく、生産現場と暮らしが密着した住民の自主的な共同体が、自然と共存しながら自律的に管理していく仕組みを有していたからである。

 「川」はまさしく、その象徴的な存在でもあるから、氏の唱える「社会的共通資本」を具体的に考える最も有効で、分かりやすい“現場”であるということなのだろう。その川が、1997年の大きな転換を経たにもかかわらず、いままた官僚の手によって“逆流”させられようとするのを座視していられないという思いが、79歳にして実行委員長を引き受けることにつながったのだと信じている。

 私が「社会的共通資本」と宇沢さんにめぐり合ったのは、阪神・淡路大震災から5年を経た2000年のことだった。当時、仕事をしていた神戸新聞情報科学研究所で震災5年をテーマにしたシンポジウム「震災から芽生えた『新しい地域社会像』を考える」という企画を進めていた中で、基調講演には内橋克人氏か宇沢氏しか適任者はいないと決めていた。旧知だった内橋氏の日程がどうしても取れず、内橋氏からも私の判断に誤りはないと力強い支持をいただいたこともあって、宇沢氏との接触に努めた。とはいっても、まるで雲の上の存在のような学者で、海外に出ていることが多く、つかまえるのに往生した。何人かの仲介協力者を得て、やっと秋に出入国の間に東京で面会することができ、快諾を得た。

 氏は鳥取県の出身で、京都大学の卒業ではあるが、関西での講演は少なく、どうしたら神戸に来てくれるかをあれこれ考えながら、震災後の被災地が「新しい市民社会」のモデルづくりに市民が奔走していることなどを説明した。後から振り返ると赤面する思いだが、その心が通じたのだと思う。

 シンポジウムは2001年2月2日、神戸・ハーバーランドのホテル・ニューオータニで開催し、その詳細は同年11月に出版した「21世紀社会の構図」(文理閣)に、シンポジウムの位置づけなどを加筆し、まとめた。書名は、宇沢氏にお願いした基調講演のタイトルからとったものだ。

 あれから何回か氏の講演を聞く機会があったが、昨日の再会では、新たな発見をした。相変わらずの官僚批判は変わらなかったが、出席していた多くが新しい川づくりにそれぞれの地域の現場で住民の視点から頑張っている人たちだけに、発言の一つひとつに老学者は共感の言葉を贈り、戦後の科学者の責任を鋭く突いていた。経済学者の頂点に立つ氏から「科学者はもっともっと、暮らしと生産の現場で頑張っている人たちに学ばねばならない」という言葉を聞いたのは、新鮮だった。

 震災後の被災地では、少なからざる研究者たちが科学者の責任について自らの足跡を振り返って反省し、市民との協働を語る場面に出くわしてきたが、同じ言葉を宇沢さんからも聞こうとは予想していなかった。時代の大きな変化を、あらためて感じたひとときだった。8月のシンポジウムが楽しみである。

最終更新時間:2008年01月06日 21時57分04秒