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「総合治水」へ川づくりの大胆な転換を


国民春闘白書2007「格差社会の改革」(兵庫県労働運動総合研究所発行、2006/12)

「総合治水」へ川づくりの大胆な転換を

武庫川流域委員会の果たす役割

武庫川流域委員会委員長 松本 誠(市民まちづくり研究所所長)

 兵庫県知事の諮問機関である武庫川流域委員会はこの8月末、総合治水を全面的に展開するよう求めた提言書を全会一致で採択し、知事に提出した。県が25年前に打ち出した武庫川ダム計画をめぐって揺れ動いてきただけに、向こう30年間の具体的な河川整備計画には新規ダム計画は不要であるとした流域委員会の提言は、世間的には「県が推進してきたダム計画に反対」と注目されたが、流域委員会の提言と活動の重みは、単なる一河川のダム建設の是非にとどまらず、河川整備という大きな公共土木事業のあり方に大きな転換を迫り、そのプロセスでも徹底的な「参画・協働」と「討議民主主義」をめざしたところに大きな特徴がある。

1.武庫川と武庫川流域委員会

 武庫川は篠山市の山間部から大阪湾に注ぐ全長約65キロメートルの、兵庫県が管理する二級河川である。下流部の氾濫域を含めた流域圏は約540平方キロメートル、ほぼ神戸市の面積に匹敵し約百万人が暮らしている。人口が密集している尼崎、西宮市境の下流部は天井川になり、下流域の約半分は河床や堤防よりも地盤の低い地域が広がっている。

 県が高度成長期最中の1979年に武庫川渓谷でのダム建設予備調査に着手して以来、武庫川の河川整備はダム計画を軸に揺れ動いてきた。貴重な生物の宝庫で、優れた渓谷景観を有するだけに環境破壊を懸念する声が高まり、2000年5月に環境影響評価審査会が事実上の計画見直しの答申を出したあと、当時の貝原知事が同年9月、ダム計画を白紙に戻し「治水対策に対する合意形成の新たな取り組みを行うとともに、遊水地や雨水の貯留・浸透等の流域での対応も含めた総合的な治水対策の検討を進める」と、ゼロベースからの整備計画づくりに踏み切った。

 当時は97年に河川法が抜本改正され、河川管理に「環境の維持と保全」が盛り込まれ、周辺住民ら多様な意見を反映させることを求めた時代である。また、大型公共土木事業を見直す世論が各地で起こり、ダム計画の見直しが相次いだ時期であった。以来6年。シンポジウムや勉強会、見学会、話し合いなどを重ねてそれまで真正面から対立していた県とダム反対派住民の“協働への足がかり”づくりを経て、1年におよぶ準備会議で流域委員会の構成などを協議し、住民参加による第三者機関である武庫川流域委員会が発足した。

2.「専門家まかせ」からの脱却と徹底した討論

 25名の委員で構成する流域委員会は、河川工学をはじめ各分野の専門家11名と、利水関係者、ダム反対運動からも各2名が参加し、10名の公募委員も森林保全や砂防、環境、まちづくりに取り組んできた経験豊富な人材が多く、ワーキングチームやワーキンググループなどの部会活動でも独自の調査活動を行い、提言書をはじめ各種報告書などもすべて委員が共同執筆した。

 「公開」と「自主運営」を原則とした委員会活動は、ほぼ毎月2回開催した全体委員会はじめ各種会議は2年半で229回に及び、延べ会議時間は1000時間近くに及んだ。膨大な時間をかけたのは、徹底した「合意形成」をめざしたからである。安易な多数決による意思決定は可能な限り避け、大多数が納得できるまで議論を尽くすことを重視した。最終的には新規ダムの取り扱いなど整備計画の一部分については完全な意見の一致をできなかったが、当初は二分されていた意見が終盤では圧倒的多数の意見に集約でき、最後は全会一致の提言書をまとめることができたのは、こうした地道な議論の結果でもある。

 従来、ともすれば専門家まかせになりがちな専門的な議論や意思決定に、専門外の委員が積極的に関わって議論したことが、分野横断的な視点や知恵が必要な「総合治水」をめざす提言に寄与した。

3.総合治水の全面展開をめざす

 8月末の提言書は、河川管理者の県がこれから河川整備の基本方針と整備計画の原案を作成するための指針を示したものである。流域委員会は、その原案を審議し意見を答申するのが本来の任務であるので、今回の提言は第一段階の意見具申である。

 提言の中身は、ひと言で言えば「河川整備はこれまでのように川の中だけで考えるのではなく流域全体で考えるとともに、流域全体の治水、利水、環境を総合的に進める」ために、総合治水を全面展開することをめざした。

 一つは、降った大雨が川に流入するまでに森林や農地、ため池、公園や学校のグラウンドなど流域の保水力や一時貯留機能を高めて、一挙に川が増水することを遅らせる「流域対策」の全面展開である。具体的な効果量の予測はできなかったが、各戸で雨水貯留や地下浸透対策を行うことは治水や利水、環境への意識を高める効果も伴う。

 二つ目は、新規ダムを建設する代わりに遊水地を検討することや、流域の支流にある既存の利水専用ダム等を治水に活用する提案である。試算では、武庫川にある6つの既存ダムを多様な手法で治水に活用すれば、新規ダムに匹敵する治水効果を期待できることも見通した。これまでの河川行政では、利水ダムは利水権を持つ水道事業の不可侵な領域であり、治水に活用する発想はなかったが、一昨年あたりから国もあらゆる既存施設を活用する方向へ舵を切っている。武庫川では水道事業の将来見通しを検討したうえで、その可能性を提言したもので、既存施設を活用して新規施設の需要を抑える画期的な提言になった。

 三つ目は、まちづくりや都市政策との連携による治水である。河川整備はどのように大きな計画を立てても、洪水を防ぐことはできない。「川はあふれる」ことを前提に、洪水の被害を最小限にとどめる「減災」を重視し、まちの側で超過洪水に備えた危機管理対策を徹底することである。住宅や街区を洪水に強い構造に変えたり、浸水危険地区から住宅を遠ざけることも、これからの人口減少時代には可能性が出てきた。万一、洪水被害に遭遇したら、命を落とすことのないような避難対策を日ごろから培っておくことも重要である。災害は防げないが、被害は少なくすることはできるという震災の貴重な経験を河川対策にも生かしていく視点である。

4.今後の課題

 提言提出後、兵庫県はいち早く副知事をトップにした関係部局長で構成する「武庫川総合治水推進会議」を設置、武庫川対策室と武庫川企画調整課を新設し、庁内の横断的な部署と流域7市の連絡協議会や関係機関を集めた既存ダム活用協議会を発足させた。河川審議会には武庫川の河川整備について対策の妥当性などを検証する専門部会を設置するなどの体制を整えた。この結果、基本方針の原案は予定通り来春には流域委員会に提示するが、整備計画の原案提示は3年間の調査検討期間を経て2009年9月になるという。

 こうした県の対応については、二つの見方が微妙に交錯している。一つは、流域委員会の提言に対して、あくまでも新規ダム計画を盛り込むための裏づけを固める時間を稼ごうという見方である。もう一つは、提言に盛り込まれた新しい考え方を取り入れるにしても、河川管理者なりの検討・検証を経ないと旧来の考え方が根強い勢力を説得しきれないという見方である。

 県の本心がいずれにあるかは、流域委員会としても読みきれない部分が多い。いま、世界や国の方針からして、それに棹差す行政姿勢を打ち出すことも、全国に先駆けて先進的な行政姿勢を打ち出すことも、従来の行政感覚からは容易ではあるまい。河川政策に鈍感な流域自治体の声も、県政にとって無視するわけにいかない。兵庫県の河川行政がそれらの狭間で葛藤しているのは間違いない。

 しかし、一つだけ確かなことがある。震災以降、兵庫県が県政推進の大黒柱として掲げてきた「参画・協働」の方針を、忠実に、先駆的に実践してきた武庫川流域委員会の議論と提言のプロセスを否定するようなことになった場合には、県政の重要施策が自己矛盾の奈落に落ち込むだけである。武庫川流域の住民だけでなく、全県民に注視して欲しい観点といえる。

最終更新時間:2008年01月06日 21時48分07秒